気がつけば僕は
僕ははっきり覚えている。
小学3年生から月日の経過というものが凄く嫌だった。
毎日が過ぎていくのが怖かったし、何より寂しいという気持ちが大きかった。
一番の理由としては4つ上の兄が中学へ進級したことだろう。今まで同じ小学生だった兄がビシッと学生服を着て通学鞄を持つ姿はどこか遠く感じた。そのとき子供ながらにこうして自分を取り囲む環境はどんどん変化していくかと実感した。
無限にあるように感じていた’’時間’’は有限なのだと思い知った年だった。
氾濫する情報
もうこれは十数年前から言われていることだろう。インターネットの普及により便利になった反面、要らない情報が増えすぎてしまっている。一つ調べものをしてもそれに付随して様々な別の情報が登場してくる。
最近だと普通のサイトを見ていてもエッチな漫画の広告やらがニョキっと現れてうんざりする。
手軽に情報が得られる分、価値は低いし信憑性も低く感じる。
あらゆるコンテンツの情報をまとめたサイトなども多いが誰でも編集できるようになっているせいか、個人的な見解だったりと不確かなものが多い。
玉石混交の情報をしっかりと見極め、情報そのものに囚われ吟味するのではなく、それによって導かれる影響などを先に考えたい。
落とし穴
僕は、日々の生活でついつい良し悪しを決めてしまう。
ここ最近は調子がいいなーと思っていたら、何やっても上手くいかなくてしんどいなあ生きるのだるいなあとコロっとちょっとしたことで気持ちが変わったりの繰り返しだ。
何かの本で考え方次第で良くも悪くも自分でいくらでも変えれると言っていた。確かにその通りだ。現状にただしっかりと向き合うだけだ。
しかし、どこかで自分の想定外の出来事が起きると上手く対処出来ずイライラし堕ちにおちてしまう。気持ちの切り替えも出来ない。イライラしたとこで負の感情は増幅するだけ。それも分かり切っているのだが、、、。
大体そういうときは寝たら、「あれ、なんで昨日あんなに苦しんでたんだ??」と思う。だが、一度考え込んでいくとズルズルと引きずり込まれ泥沼化し寝ようにも寝れなくなる。
こういう時はどうするか。
読書に限る。とりあえず、ボーッと活字を追っていくだけで自然と気持ちが落ち着いてくる。そして有難いことに好きな本を読んでいることで次第に元気付られてくる。
今は手元に本が無い。
だからとりあえず適当に思ったことをブログで書き連ねている。
要するに、寝るか本読むかをしていれば案外どうにかなるかもなあってこと。
69 sixty nine
19歳の頃、僕は完全に引きこもりだった。毎日好きな音楽を聴きながらPCにかじりつき、ダラダラと過ごしていた。
唯一の遊び相手は同じく引きこもりの家猫。時間を共有し過ぎていたせいか異常に懐いてくれた。かなり仲良しでいつも行動を共にしていた。(と、言っても行動範囲は家の中だけだけど...)
平日の昼間、ヤクルトのおばさんが家に試供品を持って訪問することが度々あり、祖母と一緒にどれがいいかねえと選んでいたが「こいつ常に居るし、平日のこんな時間から何やってんだよ」とヤクルトのおばさんに思われていたに違いない。
一見悩みなんて何もなさそうに見えるが、夜中寝ようと布団に入ると何故か苦しくなり、頭の中で将来の不安がぐるぐると駆け巡りすすり泣き出すとうう少々病んだ気持ち悪い男になっていた。
その当時、「69 sixty nine」を読んだ。
村上龍の若かりし頃を元にした自伝青春小説。
男子高校生達が仲間と学校をバリケード封鎖したりフェスティバルを企画したりなど、村上龍の実体験が盛り込まれている。
1969年の空気やエネルギーが頭にどんどん伝わってくる。これは実際にこの時代を生きてきたからこそ出せるものなのだろうか。
自分も高校生の頃はエネルギーに溢れていたが、こんな青春生活を送ってみたかったと思った。羨ましい。
後書きの一文「楽しんで生きないのは罪なことだ。」がこの本のテーマだと感じた。明日が見えてくる。
この一文でこれからも生きていこう。
たまにはぶらりと散歩でも
散歩はお金がかからない娯楽だ。素晴らしい。
散歩をするのに丁度良い気候になってきたので、ブログを書きたいと思った。
僕はたまに気が向いたら散歩をする。平日の昼間に散歩をするのも好きだが、深夜に街を徘徊するのもなんだかドキドキして好きだ。
住み慣れた土地であっても、通ったことのない道やどこかの団地に入っただけで知らない街に来て迷子にでもなったかのような感覚に陥る。僕はよく、幼い頃に兄と一緒に家から少し離れたところまで冒険に行くのが好きだった。
小さなを山や知らない公園を見つけるだけでもこんな物があったのか!と興奮していた。それは今でも変わらない。
端から見ると完全に怪しい人なのだが、深夜にする散歩で夜風に当たりながら公園のブランコに揺れるのが好きだ。住宅街とかでコンセプトが分からない謎のオブジェを発見し爆笑したり、たまに一カ所だけライトで怪しく照らされている場所を発見し、もしやその下に行くと何かイベントが発生するのではと馬鹿げたことを考えたりと非常に楽しい。
昼間の散歩だと、たまたま通りかかった良さげな喫茶店やお菓子屋さんが後から調べるとネットで話題になっているお店だったり有名な老舗だったり、怪し気な個人経営のリサイクルショップや古本屋などを見つけるとテンションが上がる。
以前、適当に散歩をしていて、たまたま谷中銀座商店街に辿り着いたときは、下町レトロの雰囲気から何処かにタイムスリップでもしたのかと思い感動した。
他にも散歩が好きなのには理由がある。
自分の足で歩くというシンプルな行為は無駄を削ぎ落とし、思考をシンプルにしてくれる。何かに対しての不安だったり、悩みだったりがスーッと薄らいでいく。
歩きながら変わり行く景色を眺めていると自然と気持ちが落ち着いてくる。
ここらへんは散歩好きの人だと共感することが多いだろう。
このブログを読んで少しでも散歩をしたくなったら嬉しい。
是非、のんびりと歩きながら楽しんで欲しい。
一人でもいいじゃない。孤独を愛そう!
どうも、ねはんです。
僕は、孤独を愛しています。1人が好きです。
休日にのんびり読書をしたり、絵を描いたり楽器の練習をしたり、、。こういうのは1人だからこそ心から楽しめるものだなあと思います。
そんな事を言うと「スカしたきめえ野郎だな。一匹狼気取ってるけど、ただ友達が居ないだけだろ」と思われそうです。まあ、確かに友達は少ないです、、。
別に友だちと居ることが悪いと言っているわけではありません。
しかし、多くの友人関係を築いていく中で相手に合わせ、どこかで自分を殺していたりする瞬間はあると思います。
人付き合いは我慢も大事といったらそれまでかもしれませんが、そういう自分のしたくない事に時間を使い、1人の貴重な時間を失う事は凄く勿体ないなあと思います。
とりあえず、Twitterを暇さえあればボーッと眺め続けていたり、LINEで意味も無くスタンプ送ったり、など常に誰かしらと繋がり続けようとする人が増えているような気がします。既読スルー、既読無視なんて言葉が生まれたくらいですからね。
SNSが活発化した現代において一人の時間を確保するというのは難しくはなっているのかもしれません。自分の身近にも常にスマホを握りしめている人とか居たなあと。
そういうのを一回取っ払い、1人でいる時間を心から楽しんでみてください。
そうすることで逆に誰かといる時間ももっと楽しくなると思いますよ!
(孤独のグルメが読みたくなったなあ。。。)
心の声を無視しない!自分の好きなように生きよう
こんにちは、ねはんです。
今回の画像はかまいたちの夜みたいで面白いなあと思い使わせて頂きました。(かまいたちの夜1、2は面白いけど3は微妙だった印象)
さてさて本題に入りますが僕は、周りに流されず自分の心の声を大事にしたいと思っています。
例に出しますと、、、
行きたくもない飲み会に参加し、大してお腹が空いてる訳でもないのに一緒にランチに行き、それもこれも「人付き合い」だから仕方ない。人間関係を有効に築いていく上で大事だからと、、、。
他にも少し話を大きくしますと、ブラック企業勤めにより過酷な長時間労働を強いられ肉体的、精神的に追い込まれ鬱病コースへ、、。最悪の場合、自殺、過労死なんてこともあります。実際に会社の労務管理は度々、問題になっていますね。
そんなクソみたいな会社に自殺に追い込まれる前にどうにか対処できていれば、、と胸が苦しくなります。生活して行く上に働かなければいけない、それは仕方ないことだという意見もあります。でも、僕は逃げ出してもいいと思っています。つらいことを続ける必要なんてあるのかと疑問に感じます。
このように些細なことから大きな事まで沢山ありますが、僕は自分の心の声を無視せずに行動に移せたらもっとラクに生きて行けるハズなのにと思っています。
シンプルに考えていい。難しく、ややこしく自分の中で事象をどんどん膨らませていくのではなくシンプルな心の声に耳を傾けて欲しいと思います。
そうすることで少しでも自分の好きなように生きて行ける道は開けるんじゃないんですかね。。。
したくないことはしない!自分のしたいことだけをして楽しく生きて行こう!
(こんな幼稚は発想じゃ今の世の中生きていけないんですかね。。ははは。。)